『幽かにくゆる煙の影』

   「第四話 心、刹那に込めて(後編)」  海並童寿



「あ、あなたの……こども?」
 蛍が問い返す。しかし、男は答えようとしなかった。
 代わりにというわけでもあるまいが、露出させた一物を、蛍の秘所に押し当ててゆっくりとこする。
 蛍の秘所は恭介にも見えるようになっていた。男に散々なぶられたそこは、確かに液体にまみれ、てらてらと輝いてはいた。しかし、秘唇自体はまだ閉じ合わさり、男を迎え入れることを拒んでいた。
 その秘唇を割るように、男の一物はそろりそろりと上下に動く。
「う、うああ、あ、あ、あぁっ……」
 自分の一番大切な場所を無遠慮にまさぐるそれが、何であるのか、蛍にも分からないではなかった。絶望の呻きと、なぜか感じてしまう快感の吐息──それは勿論、インクブスの卑劣な策略によるものだったのだが──が、蛍の口から混ざり合ってこぼれた。
「──頃合いだな。歯を食いしばれ」
 男はそう言うと、再び蛍の腰を抱え込んだ。わずかに一物を上下させ──
 一気に、蛍の腰を引き寄せた。
「ひぎゃああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁっっっっっっ!!」
 蛍の絶叫がとどろいた。
「──ふむ。それなりに締まるな」
 男はその絶叫など耳に入らなかったかのようにそう呟くと、猛然と腰を動かし始めた。
「あっ、ぎっ、ぐ、あがっ、い、ぎいっっっ」
 先ほどまでの多少甘い色のあった声とは違い、ひたすらに激痛に耐え、息すらもままならずにあえぐ蛍の声。
 ぽた、ぽたと赤い雫が結合部からしたたり、布団を濡らす。
 蛍は何も考えていなかった。ただ、その脳が許容できる限界を超えんばかりの痛覚が、意識の全てを塗りつぶす。
「くう……よしよし、これなら出せるな……」
 男は上機嫌で腰を振る。蛍の尻と男の腹がぱし、ぱしと気の抜けたような音を立てていた。
「あ、あが……う、ぐぅっ……く、あうっ……」
 蛍の声の質が、少しずつ変わってきていた。インクブスの小細工が、ことここに至ってもなお、蛍をさいなもうとしていた。
((痛い……痛い……ううっ、でも、お腹の中が、熱い……熱くて……あ、くぅっ……))
「……少しはいいことをしてやろう。ほれ」
 そう言うと男は片手で蛍の胸、もう片手で蛍のクレバスの上端をまさぐった。
「あ、ああっ!! ひぐっ、ぎっ!! うくっ、ああぐっ!!」
 痛みと、偽りの増幅を受けた快感とが蛍の脳を灼いた。
「く、む、出るぞ……儂の子種だ、受け取れ……」
 微かに残っていた蛍の意識にその言葉が届く。
「や、や、嫌ぁぁぁぁぁ!! 許して、それだけは許して、嫌、お願いっっっっ!!」
 蛍の絶叫を男は嗤い顔で聞いた。
「馬鹿が。儂がお前の中に入った時点で子種は少しずつ流れ込んでいるのだ。今更留めても遅いわ」
「!……」
 絶望に蛍が絶句する。と、男の腰の動きが止まった。
「あ、あ、あ、や、いや、あ、あ……」
 微かに震えながら、蛍の声が小さく漏れた。初めて胎内へと注ぎ込まれる男の欲望を感じて、思わず漏れた呻きだった。
「──ふん」
 男は一物を蛍から引き抜いた。蛍の体がびくん、と跳ね、ぐうっ、とまたうめき声が漏れる。
「お前が子を孕んだと分かるまでは、毎日相手してもらうぞ。よいな」
 懐から出した手ぬぐいで一物をぬぐい、その手ぬぐいは蛍の体の上に放り捨てて、男は悠然と部屋を後にした。
 蛍の腰がゆっくりと落ち、完全にうつぶせの格好になる。
((……どうして……わたしが……?私だってまだ、13才の子供なのに……どうして……?))
 ぼんやりとした思考の中で、蛍はこの陵辱に、せめて理由をと、そう思っていた。
 そのとき、はっと恭介は気を取り直した。
(蛍……)
 先日の暴言が我ながら情けない。そして、これが夢──すなわち、蛍の記憶を元にしたもの、既に塗り替えようのない過去であることに、恭介はやり場のない怒りを感じた。
 ぐるる……
 体の内側から響く唸りに、恭介は冷静さを取り戻した。あの男は殺しても憎み足りないが……今の敵は、奴ではない。
(ありがとよ、相棒。さあて、出番はもうすぐだぜ……)
 じりじりと、さきほど見た映像と目の前の光景が一致するのを待つ。あと少し──のところで、恭介はいつもの真言を呟いた。
「ガテー・ガテー・パーラガテー・パーラサンガテー・ボーディ・スヴァーハー……!」
 夢が閉じようとするその刹那と恭介の般若智を得る刹那が重なる。恭介の目が、にたにたと満悦した様子の、おぞましい魔物の姿を確かに捉えた。
「てめぇぇぇぇ!!」
 ぎくり、とインクブスが振り返る。
「相棒!! 喰え、喰い荒らせ、喰い尽くせっ!!」
 恭介の右手に現れた黒犬の顔がごう、と膨れあがる。
 ぞぶっ。
「ぐぎゃぁぁぁ!!」
 インクブスの悲鳴が上がる。左脇腹がごっそりとなくなっていた。
 ごつん。続いて、右足。
「げぇぇ!!」
 ごつり。更に、左足。
 右腕。左腕。腰。腹。胸。
 最後に残った首に、恭介は呟いた。
「俺と相棒は貴様らの血に、いつでも渇いているんだ……っても、てめえは血の一滴も出しやがらねえからな。せいぜい、いい声聞かせてもらったぜ」
 がば、と開いた犬の口がインクブスの目に映る。
「や、やめてくれぇ、お前に全部喰われたらもう再生でき」
 ぐしゃ。
 インクブスの懇願など、恭介に聞いてやるつもりは毛頭なかった。


 不意に引き戻される感覚とともに、恭介の感覚が自分の肉体に戻った。
「有り難うございました……石黒さん」
 傍らで、泰彦が平伏している。
「仕事だ仕事。そうぺこぺこすんな、どんどん自分が安くなるぞ。……で、蛍は、まだ起きないのか」
 見ると、蛍はすぅすぅと安らかな寝息を立てて、まだ眠っていた。頬は目に見えてこけていたが、表情は既に安らかなものに戻っている。
「実際には2日間、寝ずの拷問を受けていたのと同じですからね……まだ、起きないでしょう」
 じっと蛍の顔を見て、恭介は呟いた。
「こいつが目を覚ましたら、そっちに行かせる」
「……え?」
 泰彦は驚いた表情で恭介を見た。
「しつこく嫌だとかぬかしたら引きずってでも連れて行く。だから、親にはちゃんと話しとけ」
 しばらく泰彦は呆然としていたが、
「──分かりました。宜しく、お願いします」
 再び、頭を下げた。
「では、俺はこれで……代金は、遅くとも明日中にそちらの口座へ」
 泰彦は立ち上がると、
「良かったな、姉さん……」
 呟いて、部屋を後にした。
「……あれ?あいつまさか、ドア直せっての、忘れてねーだろうな……」
 残された恭介はぼんやりとそう呟いた。
 それから、3日後。
「……ぐろさん、朝ですよっ」
 聞き慣れた、鈴を転がすような声。
「……ん」
 むくり、と体を起こす。時計を見れば、AM06:00ジャスト。
「おはようございます、石黒さん」
 にっこりと微笑んで、制服姿で浮かんでいる蛍が、そこにいた。
「お、起きたか」
「はい。ご迷惑をおかけしました」
 すまなそうな顔をして頭を下げる。
「それを言うならこっちの方だ。……酷いことを言っちまった。謝って済むことじゃないが、その……すまん」
 恭介も蛍に向かって頭を下げた。そのまま、お互いに頭を下げっぱなしで時が過ぎる。
「……その、いいですよ、もう。私、石黒さんにそう思われても、仕方のない女なんですし」
 先に根負けして頭を上げたのは蛍の方だった。と、
「だから、奴に体を許したのか?」
 鋭くはない口調で、恭介が問う。
「奴、って……中原さんのことですか?」
「そうだ。……お前な、もうちょっと、その……自分を大事にしろよ。他の何よりも、お前自身がお前を傷つけてるってこと、自覚してるか?」
 蛍はいつもの寂しげな表情を浮かべた。
「そう、ですね……でも、それでいいです。私……私を許すつもりなんて、金輪際ないんですから」
「なに?」
 恭介はがばっ、と立ち上がって蛍の肩を掴んだ。
「ど、どうしたんですか、石黒さん……」
「蛍……俺は、お前が自分を恥じたり、罪の意識を感じたりすることなんて、これっぽっちもない、と思ってた」
「そ、それは……」
「だがたった一つあった。いいか蛍。自分を許せないなんて……そりゃ、ただの馬鹿だぞ」
 蛍の顔がぽかん、とした表情になる。
「いいや馬鹿どころじゃない、最低だ。自分を自分の敵にしてどーすんだよ。世の中敵なんぞほっといても掃いて捨てて炒めて煮詰めて産廃施設に放り込むくらいいるんだぞ?自分に甘くなれって言ってるんじゃない。いいか、いつかは絶対に自分を許せ。例え世界中がお前に罪を押しつけても、お前だけはいつかはお前を許してやれ。それまで多少自分に罰をくれてやるくらいなら許容範囲だ。分かったか、蛍」
「……はぁ……」
 相変わらずぽかんとした顔のまま、蛍はそう言った。
「そうでなきゃ……俺は、お前を好きでいられない」
「え!?」
 蛍のぽかんとした顔が瞬時に赤く染まる。
「ああ、その話はとりあえず後だ。……蛍。今日は、お前の家に行くぞ」
 蛍の顔色が今度は赤から白へとめまぐるしく変わった。
「石黒さん。意地悪……言わないで下さい」
 ふい、と蛍が恭介から顔を背ける。
「見たんでしょう? 私の……あ、泰彦にも見られちゃった、どうしよう……」
 恭介は大きなため息をついた。
「恥ずかしい、見られたくない、ってのは分かるが。100パーセント、責めを負うべきはあのクソの方だろーが。……女の子がそういう心境になるってのは分からんこともない、つもりだが……それこそ、いい加減許してやれよ、自分を」
「でも、あの後どうなったかは……石黒さんは知らないですよね」
 蛍はきゅっ、と眉を寄せ、恭介を睨むように見つめた。
「私……結局、あの人の子供を産んだんですよ」
 恭介は特に表情を動かさなかった。──この3日の調査で、それは既に、恭介の中では既知の事柄であったから。
「3ヶ月、毎日、その、……されて、ある日突然、急に吐き気がして……そしたら山のようにお医者さんがやって来て、私の体をあちこち調べて、間違いなく妊娠してるって……言われたんです」
 蛍はぎゅっ、と自分の体を抱きしめた。
「怖かった。お腹の中に、得体の知れない怪物がいるみたいで……そんな怪物を、自分の体が宿して育てていると思うと、自分の体すら得体の知れないモノに思えて……どうしていいか、ただうろたえている内にどんどん時間は過ぎていって、お腹も胸も大きくなっていって」
 蛍の両目から透明な雫がこぼれだしていた。
「ある日、お腹を内側から蹴られて、その時、初めて思ったんです。『この子は私の子供なんだ』って……それまで怪物扱いしてたのに、急に手のひらを返したようにいとおしく思えて……そんないい加減なことしてるから、罰が当たったんですね、きっと。臨月を迎えて、お腹が痛くなって、もうよく分からないうちにあの子の泣き声が聞こえて……でも、一度も抱くことも、おっぱいをあげることも出来なかった。あの子を産んですぐ、私、殺されてしまいましたから」
「ちっ……」
 恭介は思わず顔を背けた。うすうす想像していたことではあったが、そのことだけは調査で裏付けられていなかったからだ。
「挙げ句の果てに、こうしてまだ、迷っているんです。どうしてもあの人の子供を産みたくなければ、舌を噛むなり、いくらだって選択肢はあったのに……」
 すぱん!
 いきなり、恭介が蛍の横面を張った。
「い、石黒、さん?」
「おい。蛍。腹立ったか?」
「え? え?」
 突然の恭介の言動に蛍は面食らう。
「腹が立ったか、って聞いてるんだ」
「……いえ、そんな……」
「嘘をつくなっ!!」
 恭介に一喝され、蛍は首をすくめる。
「自分の感情に振り回されるのは馬鹿だが、自分の感情を無視する奴はやっぱり馬鹿以下の最低だ! 腹が立ったんならそれを自覚しろ! そうしなきゃ、何から何まで八方ふさがりになっちまうだろうが! よし、今回は特別に復讐を許可する。蛍、俺を殴れ」
「え……そんな」
「殴れっ!」
 ぶるぶる、と蛍は体を震わせた。そして、
 ぺちん。
 情けないほど軽い音を立てて、それでも蛍の右平手が恭介の左頬に当たっていた。
「……よし。復讐は怒りの解消には最悪の手段だが、今回はこれでいいことにしとけ。蛍」
「はい」
「お前の親に、孫の話をしに行くぞ」
「……はい」
 蛍は柔らかい表情で、こくりと頷いた。
「あ、そうそう、郷禅寺の当主の芳晴……」
 蛍がはっとした表情で恭介を見る。
「……調べたんですか?」
「ああ。湯水のように金使っていろいろと隠蔽してくれてたが……奴の妻が不妊症だったんだな。そして7年前、奴はそのことで親族会議にかけられようとしていた。そして、その時、ここらあたりの名家旧家で、子供を産めてフリーな女は、お前しかいなかった。……事情がどうあれ、正気の沙汰じゃねぇ」
「……あの。つまらないこと、考えないで下さいね。あんな人でも、あの子の父親、なんですから」
 恭介は軽く笑って答えた。
「言っただろ。復讐は怒りの解消には最悪の手段だ、ってな」


 七条邸は確かに、先日泰彦と対峙した例の屋敷よりは、「こぢんまりと」していた。もっとも、恭介のような庶民に言わせれば、
(充分豪邸だっつーの)
 複雑な表情で門を見つめる蛍を見ながら、そう思う。
「すぅ……はぁ」
 何やら深呼吸を繰り返して、蛍はぐっ、と拳を握りしめた。
(気合いが入ってるのはいいが、それって長らく留守にしていた家へ帰る態度か?)
 ひょこっ、とその体が門を通り抜けて……すぐに戻ってきた。
「何やってんだ、おい」
「それ、こちらの台詞です。木戸、開いてますよ?」
「だからどうした?」
 恭介の答えに蛍は目を丸くした。
「石黒さん……来てくださらないんですか?」
「俺が行ってどーすんだ。久々の親子の対面なんだ、水入らずにしといてやるよ」
 蛍はしばし迷っていたが、
「では、行ってきます」
 そう言って、今度こそ門の中へ消えた。
「……じゃあな、蛍」
 そう言って、恭介はくるり、ときびすを返した。
 その夜。
 恭介は珍しく手に入った上等な酒をちびり、ちびりと片付けていた。
(あーあ。言っちまったよ。全く……27にもなって、14の、それも幽霊の女の子に本気で惚れちまって、どーすんだよな……)
 ふと部屋を眺め回す。余剰人員が入って出ていっただけのはずなのに、恐ろしく空虚に感じる。
(ま、あのまんま家に帰るのが一番だ。俺みたいな甲斐性なしにひっついてちゃ、浮かばれるもんも浮かばれねぇやな)
 そう考えてまた、グラスを傾ける。
「ただいま戻りました」
「おう、お帰り」
 と、素で返事を返してから恭介は飛び上がった。
「うがっ!」
 卓に足をしたたかにぶつける。
「い、石黒さん、大丈夫ですか?」
 ふよふよと寄ってくる少女──蛍を手の甲でぺしぺし、と払いのける。
「大丈夫じゃないがお前が寄ってきてどうなるもんでもない。てか、お前、何帰ってきてるんだ?」
 蛍はきょとんとした顔で言った。
「なに、って……帰ってきてはいけないわけでもあったんですか?」
 恭介のあごがかくん、と外れた。
「その……帰ったんだろ? 家に」
 蛍はなおもきょとんとした顔のまま、
「はい。両親に事の次第を話して、それで帰ってきたんです、けど」
「だから何でここにまた来るんだよ?」
 そう言われて、蛍ははっ、とした顔をして、
「……あ。何となく、もう、ここが自分の住みかだって、そう思ってしまってました」
 照れた顔をうつむける。
「居候根性全開MAXフルスロットルだな」
 恭介の言葉に、蛍はぷく、と頬をふくらませた。
「そこまで言わなくてもいいじゃないですか」
 恭介は思わずくつくつ、と笑った。
「……何が可笑しいんですか?」
「いや、お前でもそんな顔するんだな、と思って」
「あ」
 また、顔を赤くしてうつむける。
「そ、そうだ。私、石黒さんに言いたいことがあったんです」
 赤い顔をそのままに、蛍は顔を上げて真剣な表情で恭介を見つめた。
「……なんだ?」
 思わず恭介も居住まいを正す。
「お願いがあります。……その」
「その?」
 30秒ほど沈黙して、蛍は小さな声で言った。
「『恭介さん』って……呼んでもいいですか?」
 言われた「お願い」に、思わず恭介は姿勢を崩した。
「な、なんだ?……いきなり」
 すると、蛍はこれ以上ないほど真っ赤になって、
「ずっと、夢だったんです。……好きな人が出来たら、名前で呼びたいな、って……」
 蛍はそう言うと、ぺろっと舌を出した。
「ごめんなさい。いし……恭介さんに、先に言わせてしまって」
「……おいおい。いいですか、って聞いておいて、お前俺の返事待たずに名前で呼んでるだろ」
 恭介の言葉に、蛍ははっと息を呑んで、
「……だめ、ですか?」
 そう言って済まなそうな表情で恭介を見た。
「……お前、自覚してそれやってるなら、悪女の素質150パーセントだぞ」
「はい?」
 ぽかん、とそう答える蛍に、
「オーケーだ。……よろしく頼むぜ、その、これからも、な」
 蛍は満面の笑顔を浮かべると、
「はい、恭介さんっ!!」
 そう言って、恭介にぎゅっ、と抱きついた。


   第五話に続く